★実話コラム★

魂の道の始まり

生まれる前に選んだ親と環境

 

「見えない世界」からは こう教えられています

 

『人は親や環境を選んで生まれて来る』…と

 

当初は「えーっ!? 自分が選んで来たの? この親を? この環境を?」と怪訝に思いました 

 

今になって振り返えられるようになったからこそ頷けることばかりです

  

「私がこの道を歩む際の『受け入れ準備』として 親という身近な存在に在り方を見せてもらえていたのかな…」

 

「この道に進む際に 拒絶せずに門を叩けるような環境を用意してくれていたのかな…」 

 

「その役目を 父母がそして亡くなった姉までも担ってくれていたのかな…」

 

…などこれまでに気づけなかった「親に分け与えて貰っていたたくさんの恩恵」を知る機会をもらえました

   

よろしかったらご一緒にどうぞ

   

 


当たり前の中に準備が始まっていた⁉

 

私は小さい頃から「特殊能力」があったワケではありません

現在「ミディアム(霊的媒介)」が得意な人間となっていますが かといって元々「ひょう依体質」でもなかったと思います

  

俗に言う「霊感」もなく「ひとだま」を見たこともなければ 何かを察するインスピレーションの鋭さもない ごくごく普通の人間で約半世紀を過ごしてきました

  

ただ今にして思えば…

母親が亡き人や今朝旅立たれた人を「夢で見るタイプの人」だったので 不思議な内容の割にはごく自然に日常会話で聞かされていました

  

その「視た内容」は決して怖いモノではなく 逆に「ニコニコ笑っていたよ」とか「嬉しそうだった」と人柄や心の温かさを感じるのです

   

しかも父は頑固な人でしたが そばで一緒に話を聞いていても「バカバカしい」「気持ち悪い」などと否定していた記憶がありません

 

こんな環境があったからでしょうか… 

 

大人になった私が出逢った「スピリチュアルな世界」には抵抗感がなく むしろ「見えない世界は当たり前にある」と思っていましたので この世界にスンナリ入り込めたのでしょう

  

 


日常で見せてもらっていた感謝と敬い

 

両親は長女を生まれて直ぐ亡くしていて 私が生まれた時には既に小さな仏壇がありました

 

母は毎朝炊き立てのご飯をあげて 手を合わせて唱えるのが日課です

買い物した果物やお菓子も 必ず初めに仏壇に供えてから 次に皆で…の順番でした

 

父はお給料日のお金の入った封筒(当時は現金)をあげて手を合わせてから財布にいれたり パチンコで勝ち取ったお菓子を供えたりしていました

無口な父でしたが きっと「ほら お前も食べろ」と心の中でつぶやきながらお供えしていたのかも知れません 

 

お供え物を上げ下げする時は必ず「おりん」を3回鳴らしていました

子供の私は『おりんを鳴らせば貰っていいんだな』と善からぬ学びをして 供えたばかりのお菓子欲しさにおりんを「ケンケンケ~ン♪」と力いっぱい叩いて速攻で食べちゃってました(^_^;)

       

そんな親の習慣を見ていたからでしょう… 

 

亡くなった人を敬い 大切にすること…

授かったお金や物(お菓子でも)への感謝…

姿が見えなくても 分かち合おうとする気持ち…

 

「仏壇に手を合わせるように」とは教えられましたが これら心の持ち方などを厳しく叩き込まれた事も無く 親の習慣を真似て無意識に学ばせてもらっていたのです

  

「親の背中を見て育つ…」

 

生意気にも…

この言葉は長い間他人事に聴こえていて 「こんな親からは何も教わっていない 学べることなんか無い」と反発心を抱き続けていた私でしたが  この歳になって「気付けていないだけだった」…と気づき 自分の未熟さを反省し恥ずかしく思っているところです(^-^;

   

 

〜 続く 〜

 


おまけ

 

私個人は特定の宗教団体に属しておりませんが 実家ではどこかの宗派でお寺の檀家さんになっています


詳しく分からないままですが お彼岸やお盆にはお寺参りに行って 行けば何となく気持ちが良くてスッカリ習慣になってしまっています

 

今でも実家に帰れば 自然と仏壇や神棚に水をあげ手を合わせます

  

ペットシッターなどでお宅訪問した際には 故人と面識がない場合でもお仏壇が目に入ると無視もできず ちょこっと頭を下げて挨拶をさせていただくことにしています